あらふぉー、シングルマザー。
毎日が慌ただしくて、息つく間もないけれど——
ふとした瞬間に思うのです。「もう1人、子どもがいたらどうだろう?」って。
生物としての本能?それとも、ただのわがまま?
最近特に強く感じるのは、「生物のメスとして子孫を残したい」という、本能に近い気持ち。
(知人に言ってみたら、「表現がエロい」と言われたのですが、エロいですか…? 逆に理科的で物質的な感じがするのですが。笑)
もうすぐ体のリミットがくる。だからこそ、余計に意識するのかもしれません。
自分の遺伝子を持つ子どもって、見ていて飽きない。
あの寝顔、仕草、ちょっとした発言の癖までが、いとおしくてたまらない。
「もう1人…ほしいかも?」
そんな思いがよぎる日があります。
今の生活には、赤ちゃんの居場所がない
とはいえ、現実を見れば、いまの生活に“赤ちゃん”が入る余地はゼロ。
仕事、育児、家事、スケジュールは毎日パンパン。
今いる子どもとの時間すら、もっと丁寧に味わいたいと思うときがあります。
「2人目ほしいな~」と思いつつ、子どもと遊んだり、お風呂に入ったりしているときは、「ここにもう1人おったら無理だなー!」と現実を見せつけられています。笑
今の子どもに「ちょっと待って」を言うことが間違いなく多くなるでしょう。
子どもに聞いてみたら…
ワタクシ、思い切って聞いてみたんです。
「もし、妹か弟ができたら、どう思う?」って。
返ってきた答えは、まさかの——
「妹も弟もいらない。」
ズゴーッ!!(こけた)笑
犬・猫がまあまあ好きな我が子なので、赤ちゃんにも興味あるかと思いきや、断られたぞ。笑
「ほしい」って言われたら、きっと私は前向きに考えていたんだけど、こんなにきっぱり「いらん」と言われてしまったら
それを無視して突き進むことは、できませんね。笑
なぜ“いらない”のか、聞いてみた
気になって、「なんで?」と理由を聞いてみました。すると、こんな答えが返ってきました。
- ケンカするから、いや。
- 自分のおもちゃで遊んでほしくない。
- 保育園で、妹や弟を待たなきゃいけなくなって、友達と一緒に帰れなくなるのがいや。
……どれももっともな理由。
多分、身近にいる妹や弟がいるお友達を、よく観察しているんだと思います。
確かに、子どもの友達と遊んでいるとき、その子の妹がおもちゃを持ってったり、お迎えは融通がきかなかったり…
そんな日常の小さなシーンを、しっかり見て、自分の中で理由にしているぽいです。
子どもの観察力って、本当にすごい。
そして、ちゃんと「自分の気持ち」を言葉にできる成長にも、しみじみ感動してしまいました。(まだ4歳なのにすごくないか。(親ばか)笑)
悩む気持ちと、愛おしさ
いまいる子どもが、最高にかわいくて、最高に大切。
だからこそ、もう1人、という選択肢に心が揺れる。
大切なものが2つになると、愛は分割されるわけではないとはわかっていても、
それでも、今100%の愛を注いでいるこの子にとっては、「自分への愛が減ったように感じる」こともあるのかもしれない。
それを子どもの視点で考えると、ちょっと切なくなります。
「ママをひとりじめできない寂しさ」
「待たされる時間」「我慢しなきゃいけないこと」
それは間違いなく子どもにとって大きな変化ですね。
お金さえあれば、たぶん私は踏み出してる
正直言うと、もし十分なお金があれば、二人目も現実的に考えていたと思います。
というのも
- 両親の反対も、スルーできる強さが持てる。
- 家事代行、ベビーシッター、ファミサポ——街の有料サポートをガンガン使って、ひとり育児の負担を減らせる。
- 子どもの将来にかかるお金そのもの
「サポート(時間)を買う」→「その時間を子どもとの時間に」→「できるがぎり、今の分量の愛を注ぐ」という理想図(甘い!とはたかれそうですが)。
実際、何に一番ブレーキをかけているかというと、時間と体力と、それを支える“お金”の問題。
子育てって、「気合いと根性」だけじゃ絶対に乗り切れないですよね。
心の余裕も体力も、そしてお金も。どれかひとつでも欠けたら、しんどいのが現実。
だから思うのです——
「稼ぎがほしいぜ★」
まったく、笑えてくるくらい現実的な話で締めくくります。
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